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金平茂紀
1977年 TBS入社。
社会部、「ニュースコープ」副編集長、モスクワ支局長、ワシントン支局長、ニュース23編集長を務め、2005年から報道局長、2008年からはアメリカ総局長として、アメリカを中心に取材を続ける。
2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

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#24 他山の石

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こんにちは。もう8月になっちゃいましたね。記録的な集中豪雨が新潟県と福島県を襲いましたが、実は僕はその前々日(7月28日)に、新潟県の柏崎市に向かっていました。そこで東京電力の関連会社の元社員がインタビューに応じるというので、東京駅から長岡経由で柏崎に向っていたら、豪雨で長岡から柏崎の列車がストップしてしまっていたのです。約束の時間にはとっくに間に合わないありさまでした。本当に大変な一日でした。日本は危険だと察知すれば、JRに限らず、列車の運行を中止するのが当たり前です。ところが、お隣の中国では、どうも安全確保の概念が日本とは違う点があるのかもしれません。中国高速鉄道の脱線事故のことを言っているのですが、日下部キャスターが現地で体を張って取材に当たっていました。確かに、中国の事故処理の経緯をみると、随分日本とは違う。ひどい。でも実は、僕は個人的には、あんまり中国当局ばかりを責めるのもどうかな、という気持ちになってしまう部分もあるのです。それは、日本の原発事故の処理をみると、他人のことを言えた義理じゃないよな、という感情的な部分もあるからです。「他山の石」という言葉もあります。それともうひとつ、今回の中国高速鉄道事故の日本国内の一部報道に、中国に対する根拠のない蔑視のような歪んだ感情がどこかに潜んでいるような気がしたからということもあります。皆さんはどのようにお考えになりますか?

2011年7月30日 放送  スタジオ部分起こし

◆オープニング
金平;こんばんは、「報道特集」です。今ご覧頂きましたように、新潟県と福島県で記録的な豪雨が続き、被害が広がっています。早速このニュース新潟と福島から伝えてもらいます。

◆特報ふり
金平;今日の特集をお伝えする前に、ここで番組が独自に行った告発インタビューです。九州電力の所謂やらせメールを発端とする世論工作問題は昨日、原子力安全保安院の関与まで明らかになるなど、原子力行政の根幹を揺さぶる展開となっています。こうしたなかで東京電力の関連会社の元社員が私たちの取材に対して世論工作の生々しい実態を語りました。

◆特報うけ
金平;電力会社だけでなく、本来、監視役であったはずの原子力安全保安院や、資源エネルギー庁、さらに一部のマスコミまでが、いわばグルになって、原発推進の世論が無理やり作り上げられていた疑いがある以上、今後、その世論工作の全貌が明らかにされる必要があると思います。

◆特集1 リード
日下部;最初の特集は200人を越える死傷者を出した中国高速鉄道衝突事故です。中国が世界一の鉄道と胸を張っていた高速鉄道で起きた悲劇。今回の事故は列車の運行や安全管理の杜撰さだけではなく、中国社会が抱える矛盾や歪をあぶり出す結果となりました。

◆特集1 スタジオ受け
金平;日下部さん、正直な感想を言いますとね、事故直後に穴を掘って車両を埋めたと言うニュースの時は唖然としました。
日下部;私も現場に行って、変わらない中国と、変わった中国二つの中国を見たようなきがします。変わらない中国は、誤りを認めようとしない、自分が不利になることには蓋をするという旧体制の中国。もう一つの変わった中国と言うのは、車両を掘り起こした中国だと思うんです。つまり一旦埋めるというものを翻した。つまり自ら誤りを認めたことになる。中国当局は。これはすごい大きな変化だと思います。そしてこの大きな変化を、迫ったのがVTRにも出ていたネット記者の存在。私が中国にいた時に、中国には好ましくない事件、事故の現場。とにかく取材させないと、そこを必死になって現場に向かおうとするのは外国人記者か、香港のメディアだけだったんです。これがこのネット記者達の活躍ぶり、これは本当に中国の変化を、印象的に残りました。
金平;インターネット記者、結構いっぱいいたんですね。さまざまな意味で、この事故処理の顛末から、中国の今が見えてきますね。

◆特集2 リード
金平;続いての特集はこちら。津波で壊滅的な被害を受けた岩手県の陸前高田市。その瓦礫の片隅に、ひっそりと小さな階段が残されています。ここは生き延びた人たちから、“一番かわいそうな場所”と言われています。あの日、生と死を分けたものは何だったのでしょうか。

◆特集2 スタジオ受け
日下部;取材に当たった報道特集の辻記者です。陸前高田は私も取材に行きましたけど、元々防災意識の高い土地柄で、それなのにそういった土地で決められたとおり避難所に避難したのに犠牲者が出てしまったと、これは非常に問題だと思うんです。
辻;そうですね。こちらが陸前高田の航空写真なんですけど、この“悲劇の階段”という場所の、こちら側に山がずっとあります。この山の麓のところには避難所がいくつもあったんですけど、皆さんここまでは殆どの人が逃げてきていた。ところが津波が来た時に、生死を分けたのが、その場に避難路があったかどうかということでした。そしてもう一つこの地域ですが、この場所は山まで距離があります。ですので、市民会館や市民体育館、ある程度高さのある建物が避難場所になっていました。しかし、ここも波を受けてしまうと、逆に逃げ場がなくて、多数の犠牲者を出してしまうという結果になってしまいました。
金平;今日も新潟や福島で、大雨による洪水被害がでていますよね。今年ぐらい私たちは、津波や、地震、洪水とか自然災害の猛威を思い知ったことはないと思います。この中で出ていたように、行政はいろんな不備があったでしょう。だけども行政ばかりでなく住民の側から色んな場合を想定しての、要するに“一番かわいそうな場所”というのがあったんですけど、ああいうものを作らないための備えというのは必要だと、つくづく感じました。
辻;現場を歩きますと防災無線が聞こえなかったですとか、色んな事実を聞くことがありました。そうした一つ一つの事実を教訓として活かしていくことが大切ではないかと思いました。
金平;「報道特集」、ではまた来週。



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