広島平和記念式典にて。市職員による警備、結構きつかった。
取材にあたったRCC藤原記者と「報道特集」橋本さん。暑かった。
こんにちは。
今日は長崎の「原爆の日」です。暑い日々が続きますね。
広島の平和記念式典には朝から出かけて取材しました。松井市長が平和宣言のなかで、何をメッセージとして世界に発信するのかを聞きたいと思ったからですが、正直に言いますと、ちょっと「逃げ腰」なのではないかな、という印象を持ちました。今も続いている福島原発事故を受けての言葉としては、どこか弱いのです。一歩踏み込む姿勢が見えないのです。「(福島第一原発の事故は)原子力発電に対する国民の信頼を根底から崩してしまいました。そして、『核と人類は共存できない』との思いから脱原発を主張する人々、あるいは、原子力管理の一層の厳格化とともに、再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいます。」「日本政府は、このような現状を真摯に受け止め…(中略)…早急にエネルギー政策を見直し、具体的な対応策を講じていくべきです。」もっとも広島県知事の言葉はもっと無内容でしたが…。「被爆」と「被曝」。原子力の「軍事利用」と「平和利用」。ヒロシマとフクシマ。これは同じコインの裏表だな、というのが今現在の実感です。さて、当時のスタジオ部分を採録しておきます。
夕陽を浴びる原爆ドーム。
原爆ドームのもとに集う人々。
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冒頭挨拶
金平:こんばんは「報道特集」です。
66回目の原爆の日を迎えた広島に来ております。今年は福島第一原発の事故を受けて、「人間にとって核とは何か」を真正面から問う特別な日となりました。
後ほど特集でも広島と福島の重なりをテーマにお伝えしたいと思います。
日下部:こちら(東京)からは日本経済への影響も心配されるアメリカの国債をめぐるニュースなどをお伝えします。
特集1 リード
この後は健常者の視点ではなかなか見えなかった被災地の現実です。
特集1 受け
日下部:取材にあたったRKB(毎日放送)の松本記者です。私も何回か被災地入ったんですが、今のVTR見ていてやはり健常者の視線で見ていたなと。見落としたものが沢山あったなと思いました。
松本:私も実は4年前に怪我してから車椅子の姿を画面に晒したこともありませんでしたし、福祉問題はあえて取り扱うのを避けていたんです。ただ私が入院していた病院の友人、首から下が動かないんですが、彼から「被災地の人はどうやって生活してるんでしょうかね」と言われて、僕なりに何か出来ることがあるんじゃないかと思って被災地に入ることを決めました。
久保田:ご覧になってみて最初は復興のスピードが凄く強調されていましたが、
現状として個別のニーズにどれくらい答えられるようになっているんでしょうか
松本:やはり各自治体に・・・後手、後手という言葉は使いたくない。それどころじゃないんだと言う感じで、だからこそボランティアが彼らにどれだけ協力できるかが1つのポイントになるのではないかなと思います。
日下部:ただ多くのボランティアの人たちが現地入りしているが、どうも行政との歯車が合ってないから効率的な活動が出来ないという感じがしましたね
松本:政府の登録ボランティアが60万人超えたというが、結局ゴミ拾いや溝さらいとかの簡単な業務だけを依頼している。結局どうボランティアを活用するか、どうチームを組むのかという活動術が受け入れる側の自治体には無いということですね。
日下部:ありがとうございました。
特集2 リード
日下部:次の特集は原爆の日を迎えた広島からです。
金平:再び広島です。福島第一原発からわずか20数キロの場所に、かつて広島と長崎で原爆にあった被爆者たちが住んでいました。かつては原爆で、今は原発で運命が翻弄されてしまった人々の現実は「核と人間は共存出来るのか」という問いを私たちに突きつけています。
特集2 受け
金平:取材にあたったRCC(中国放送)の藤原記者です。今VTRを見ていて、原爆被害者が福島の地で再び原発による放射線によって被曝するという過酷な現実に改めて驚かされました。結局、原子力の軍事利用=核兵器、原子力の平和利用=原発というのは、表裏一体だったということに改めて気付かされました。「静かな衝撃」のようなものを受けましたが・・・
藤原:そうですね。広島でかつて起きたことが福島で今繰り返されつつあるというのが取材した実感です。岡さんは広島で原爆にあったあと結婚差別を恐れ、66年後の原発事故で今度はお孫さんのことを心配されています。もちろん、大量の放射線物質を一気に放った原爆と長期間低線量を放つ原発事故は違いますが、人々の心に与える不安は同じです。
金平:原水禁運動の中で脱原発は反原発がどんどん言いにくくなっていった歴史が、3.11を経て転換点を迎えたと思いますか?
藤原:はい。原水禁運動は労働組合に依存してきましたが、その最も大所帯の組合の1つが電力会社。原発問題が一種のタブーでした。この夏、原水禁被爆者運動は脱原発をはっきり掲げたので、その意味で転換点といえるかもしれません。ただ、被爆国・日本で原子力の平和利用が始まって半世紀が経ち、原爆に被爆しながら自分自身や家族が原発と生活上関わらざるを得なかった人達もいます。原発のない社会を築くにはこうした人達の共感を得るような粘り強い努力が必要です。
金平:ご苦労様でした。以上、広島からでした。
日下部:福島の事故によって、長崎、広島・・・原爆の日に新たな意味合いが加わった気がします。今日はここまでです。