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金平茂紀
1977年 TBS入社。
社会部、「ニュースコープ」副編集長、モスクワ支局長、ワシントン支局長、ニュース23編集長を務め、2005年から報道局長、2008年からはアメリカ総局長として、アメリカを中心に取材を続ける。
2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

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#222 戦後70年を語り継ぐということ

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今年は戦後70年ということで、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、ネットに至るまであらゆるメディアが、70年前の戦争に焦点をあてた特別番組や特集や企画を世に問うていました。8月15日がすぎれば、「もう戦争モノは飽きたよ」とばかり忘却の方向に進むことに危惧を覚えます。戦争モノは8月の季節ネタではないです。今現在、進行形の出来事とつながっているアクチュアルなテーマです。それを別物のように扱うのは想像力が欠如していると言われても仕方がないと思います。今年やたらと登場していた「特攻隊」のスト―リーにしても、あれを美化するのはもってのほかだと僕は思います。あの悲劇は今はアメリカ軍のドローン(無人機)による上空からの空爆につながっている。つまり特攻の無人化、ロボット化です。その時に民間人が多く巻き添えになって死傷した際に、軍は、collateral damage=付随的被害 と呼んで、やむを得ない被害だと正当化します。東京大空襲や広島、長崎、重慶、ゲルニカ、ドレスデンの死者たちのどこか「付随的」でしょうか?軍の攻撃の究極の目標は「敵を一人でも多く殺せ」です。そのことはまさに今、進行しているさまざまな法案とも関係しているだろうと、事実に基づいて、想像力を広げていくこと。これが戦後70年を語り継ぐことと同義ではないか、と僕は思っています。今、ワシントンDCでいろいろと調べものをしていて、ますますその感を強くしました。
8月15日の終戦スペシャルのスタジオ・中継部分を再録しておきます。
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2015年8月15日放送 スタジオ原稿

【冒頭あいさつ(金平中継)】
金平;こんばんは。「報道特集」です。
  戦後70年目の8月15日。
  説得力が乏しい戦後70年談話が昨日発表されたのと並行して、国民の多くが反対している安保関連法案が成立させられようとしている暑い夏を私たちは迎えています。
私は東京墨田区の東京都慰霊堂に来ております。
広島、長崎あるいは沖縄の慰霊の場所のようにはあまり知られていないかもしれません。「過去に誠実に向き合う」というのはどのようなことなのか。
このことを考えながら、今日の「報道特集」は時間を30分拡大してスペシャルバージョンでお伝えしていきます。
  このあと、お知らせを挟んで、全国のニュースです。

【特集ふり】
日下部;この後は終戦の日スペシャル。
  まずは東京の戦後70年にこだわります。
小林;置き去りのままの遺骨、大量の遺体を埋めた公園。
  10万人が犠牲となった東京。その記憶をどう語り継いでいくのか。
【特集1 リード(中継)】
金平;再び東京都慰霊堂です。
ここには70年前の東京大空襲で亡くなった人たちの遺骨や名簿などがおさめられています。今日は、この慰霊堂では、戦後70年の節目の供養のためのセレモニーが今も行われているところです。
「過去に誠実に向き合うこと」。このことを私たちは今日のテーマに据え、取材を進めてきました。
戦争を防ぐためには、「過去に誠実に向き合うこと」がまず何よりも出発点だったはずです。
戦争体験を風化させないこと、戦争を忘れずに語り継ぐこと。
その意味で、私たちがこだわった場所のひとつは、ここ東京です。
東京は、戦後の日本の復興と繁栄の中心でした。
けれども、この東京こそが最も戦争を忘れてきた場所ではなかったのか。
そこからまず私たちは取材を始めました。
【特集1 受け】
日下部;私の大叔母と3人の子供、合わせて4人が東京大空襲の犠牲になっています。
戦後生き伸びても長いことやけどの後遺症に悩まされた親族がいます。
つまり私にとって、東京大空襲って非常に身近に起きた悲劇なんですね。
ただ、金平さん、VTRを見ていて、我々はちゃんとこの東京大空襲と向き合ってきたのかなという事を改めて感じました。
金平(中継);そうですね。
東京都の慰霊堂と言うのは、もともとは関東大震災の被害者の遺骨を納骨するために作られたもので、そこに東京大空襲の被害者の遺骨が、いわば間借り、仮住まいの形で納骨されていることを、実は取材するまで私も知りませんでした。一体私たちは何をやってきたんだ、「過去に誠実に向き合ってきたのか」という痛恨の思いをしたというのが正直なところです。
【特集2 リード(中継)】
金平;続いては、私の後ろに見えます
あの花壇と慰霊モニュメントをめぐるストーリーです。
東京大空襲の犠牲者の遺族たちが抱かざるをえなかった怒りの原点を探りました。
皆さんはどのようの受け止められるのでしょうか。
【特集2 受け】
金平;東京大空襲遺族会の星野弘さんに来ていただいきました。
よろしくお願いいたします。
星野さん。それにしても、犠牲者の名簿の扱いですね。
今もガラスケースに入れられていて、遺族でさえ中を見ることができないというのは一体、名簿とは誰のものなのか、何のためのものなのかと、怒りを感じずにはいられなかったのですけれども。星野さん、今日はあれから70年目の日ですよね。どんな気持ちで今日を迎えられていますか?
星野;今お話があった、氏名の問題にしても、これは生きていた人間なんです。これを公にすると言う事は人権を守ること。この地球上に存在していたことの証なんだと。そういう点でははっきりと公にすると言う努力を行政も国も行うべきだという風に私は思っています。
金平;昨日安倍総理が「戦後70年の談話」と言うのを発表しましたけど、空襲被害者のお一人として、何か気にかかったことはありましたでしょうか?
星野;私たちは「戦争の後始末をしてください。」を運動のスローガンにしている。明日にも戦争が始まるような風潮が強まっていますけど、私たちは安倍総理の話を聞いても歯切れが悪いし、本当に下手したら戦争の前夜になっちゃう。だから、本当に空襲犠牲者に対する差別・人権。これを守るために、やはり暮らしを守り、平和を守る。そういう政策を促進してもらいたいという事を心から希望しています。
金平;一言だけ。なぜこのように東京大空襲のことが忘れられたんだと思いますか?
星野;一口で言えば、国も東京都も公にする資料ひとつ無いんですね。だから、本心としては隠したい。公になっては困るという思いがあるんだろうなと思います。

金平;ありがとうございました。スタジオにお返しします。
【特集3 リード(バーチャル】】
日下部;次は「空襲」というつながりから視点を海外に転じたいと思います。
東京大空襲を行ったアメリカ。
そして、中国・重慶。
ここは日本軍が大規模な空爆を行い、多くの民間人の犠牲者が出た場所です。
さらにドイツ・ドレスデン。
この街も激しい空襲にあい多くの民間人が巻き込まれました。
一方でドイツ自身も空襲を行い「ナチス」による加害者としての十字架を背負っています。
まずはこのドレスデンの空襲被害者の女性が加害と被害の狭間で何を考え、
どう行動したのか?そのレポートからご覧ください。

【特集3 受け】
日下部;東京も含めてご覧いただいた一連の都市に対する無差別爆撃のことを「戦略爆撃」と呼びますが、東京大空襲を語り次ぐことと同じくらい大切なこととして、私たちが日本人として覚えておかなくてはならないこととして、日本軍が行った重慶爆撃がピカソの絵で知られるゲルニカ空爆と並び、人類史上最も早く行われた大規模かつ組織的な戦略爆撃だということです。
小林;空襲で言いますと、私の祖母は樺太で空襲を経験しているのですが、今も寝たきりになっていまして、何故もっと早く話を聞いておかなかったと今では後悔していますね。やはり、語れる人が少なくなって行く中で、歴史を知ったものが語り継いでいく。これは責務ではないかなと感じますが、金平さんはいかがでしょうか?
金平(中継);はい。昨日「戦後70年談話」にあった「私たちの子や孫の世代に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」というくだりがあったんですけど、私は強烈な違和感を覚えました。何度も繰り返しますけど、「過去と誠実に向き合うという事」は不都合な事実とも向き合って、子供たちにそれを引き継いでいくということなはずです。戦争では加害者と被害者が必ず現れます。私たちの国、日本も敗戦を喫した被害者であったことも事実ですが、一方では近隣諸国に大変な加害を与えた当事国でもありました。その両方の記憶を子供たちにいかに引き継いでいくのかと。ドレスデンのノラ・ラングさんも言っていた通り、両方の記憶を若い人たちに伝えていくという事が決定的に大事です。取材を通じて希望が見えたこともありました。東京大空襲の被害者グループは同じ被害者であった中国の重慶の被害者とも交流していましたし、ドイツのドレスデンの市民たちとも交流を持っていました。市民同士の交流は素晴らしいものだと思いました。日本に対する加害国であったアメリカの日本研究家のジョン・ダワー名誉教授が言っておりましたけれども、加害も被害も含めて戦争そのものが悲惨で絶対悪なんだという視点を失いたくないと。それが70年目の8月15日に考えたひとつの結論です。
こちらからは以上です。

【エンディング(番宣)】
小林;今日の報道特集は“終戦の日スペシャル”をお伝えしましたが、この後も報道特別番組は続きます。
久米宏さんと綾瀬はるかさんの司会でお伝えする戦後70年特番、
「私の街も戦場だった」の第二弾です。
日本各地の街が被害を受けた、カラーの空襲映像を初公開します。
ぜひご覧ください。

日下部;そして「報道特集」、来週は放送がお休みです。
次の放送は再来週の土曜日、29日で、いつもより早い夕方4時半からのスタートとなります。
それでは再来週。





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