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金平茂紀
1977年 TBS入社。
社会部、「ニュースコープ」副編集長、モスクワ支局長、ワシントン支局長、ニュース23編集長を務め、2005年から報道局長、2008年からはアメリカ総局長として、アメリカを中心に取材を続ける。
2004年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

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#247 今日という節目に節目のことを記録しておく

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今日は2016年3月31日です。この半月あまり、仕事で日本をあけていたり、身辺で公私ともに変化があったりと、大きな「節目」を迎えていて、このブログを更新することができずにいました。今回ここに記しておくのは3・11という戦後史の「節目」のことについて放送した回です。あれから約3週間と5年が過ぎましたが、日本人の「集合的な記憶」は驚くほどのスピードをもって滅却していきます。僕個人のなかでは、南三陸で出逢った人々と共有してきた記憶は決して忘れないつもりです。当日のスタジオ原稿を記しておきましょう。
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3/12 報道特集「大震災から5年」O.A【スタジオ原稿】  

■金平オープニングあいさつ  中継:南三陸町

金平 
こんばんは。「報道特集」です。
宮城県の南三陸町に来ております。
5年前のあの日、この防災対策庁舎から、必死に住民に
「逃げろ」と呼びかける放送が流れていました。
その声を発していた職員もろとも、津波がすべてをさらっていきました。
時を同じくして、福島第一原発が未曾有の炉心溶融事故を起こし、
今、気の遠くなるような廃炉作業がやっと緒に着いたばかりです。 
避難を余儀なくされている人々は
今もなお17万人を超えています。
震災も原発事故も全く終わっていません。
今日は、あれから5年目の今を総力特集でお伝えします。
日下部キャスターは、福島県に行っています。
日下部さん!

■日下部あいさつ  中継:飯館村

日下部 
福島県飯舘村です。
高く積み上げられているのはフレコンバッグ。
中には除染作業ででた放射性廃棄物が詰め込まれています。
村全体が避難指示区域なため人影はありません。
いま村のあるじはこの
フレコンバッグの黒い長城です。
その数は飯舘村だけで150万個という
途方もない数です。
飯舘村は原発からもっとも遠い避難指示区域です。
遠いという理由だけで避難指示が遅れました。
原発事故にたいして
メディアを含め私たちがいかに
無知であり無策であったか・・・
黒いフレコンバッグの長城をまえに
5年目の記憶をこころに刻みたいと思います。

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■特集1「南三陸おばあちゃん」リード 中継:南三陸町
金平 
5年前の大震災の取材で、私自身が最初に入った被災現場は、
ここ南三陸町でした。
仙台市内から車を飛ばして何とか辿り着き、
山側から海側に入ってきた時に広がる光景を初めて見たときの衝撃は
今も脳裏に焼きついています。
津波で破壊された自宅の前に震えながら佇んでいた
一人のおばあさんがいました。
これからご覧戴くのは、そのおばあさん、西城たけ子さんと
私との5年間にわたるささやかな交流の記録です。

■特集1「南三陸おばあちゃん」うけ 中継:南三陸町
金平 
きのう3月11日、たけ子さんは、町が開催した追悼式典には参列せずに、
自宅で亡くなった夫の格治さんにお線香を手向けていました。
たけ子さんは、「生きててよかった」と静かに語っていました。
一方、息子の彰さんは、5年目にして初めて、追悼式典に参列していました。 彰さんだけでなく、参列者には、何とか自分のなかで区切りをつけたいんだ、という思いの人も多かったように思います。
実を言いますと、取材に来るたびに、私や取材スタッフが、逆にたけ子さんの元気さに励まされることの方が多かったように思います。
たけ子さんの強さの根っこにあるものは何なのだろうか、いつも考えてきたのですが、ひとつは農作物を作る喜びを知っているということ。自然と共に生きてきた長い経験があるということ。それが、チカラの源になっているんだと思います。
もうひとつはたけ子さんの他人に対する思いやりです。自分で栽培した
農作物をただで仮設住宅の人に配るとかしていました。
それだけに、たけ子さんが心配しているのは、まだ仮設住宅に
とどまったまま、希望を持てない人々がたくさんいるということでした。
南三陸町は、海側の光景が土台から変わってしまいました。かさ上げ
ということで、全体の標高が人工的に高くされている。そういう場所は、
東北の被災地には、陸前高田とか女川とか、いくつもあります。
皮肉なことに、県による保存が決まっているこの旧・防災対策庁舎だけが、
かさあげ工事の対象から外れていて、周りの土地がどんどん高くなっていき、
結局、この防災対策庁舎跡を人々が見下ろすような位置関係になるのか、
とても複雑な気持ちになります。
福島県にいる日下部キャスターに次の特集を伝えてもらいたいと思います。
日下部さん!

■特集2「長泥 帰れない故郷」リード 中継:飯館村
日下部 
飯舘村の南端、ここから車で15分ほどのところに
長泥という集落があります。
飯舘村で唯一帰宅困難地域に指定された場所です。
集落はゲートで閉ざされ
特別な許可が無ければ出入りは出来ません。
除染作業は線量の低い地域が優先されるため
長泥は対象外でフレコンバックを目にすることもありません。
長泥地区はいわばこの5年間放置されたままです。
故郷を捨てるという選択が現実味を帯びる中
理不尽に奪われた人々の営み。
自然とともに歩む
豊かな生活があったことを記憶にとどめようと
長泥の人たちが動き出しました。

■特集2「長泥 帰れない故郷」うけ 中継:飯館村
日下部 
○本の説明
受け取った多くの人たちが、
長泥の美しさ豊かさを再認識していたようだった。
○人々の証言を読むとカメラに向かっては
なかなか言えない様な証言もある。
たとえば賠償金の額をめぐる
やっかみや誹謗中傷が村人の間にもある事。
仕事を失い昼間から酒を飲みだしたことなど。
巨額な賠償金が村人の結束をいとも簡単に
乱してしまったこと。
などメディアが伝える震災報道とは違った
被害者の姿がある。
○長泥はこの5年間、時間が止まった状態。
復興の槌音が響くことはない。
原発から遠いため事故処理や廃炉の動きとも関係ない。
いわば復興の空白地帯。
飯舘村の中でも長泥地区の人々の結束は固かった。
被災地以外のひとびとの震災の記憶が確実に薄れる中で
この本は復興から取り残され
理不尽に故郷を奪われた人々の心の叫びのように響く。

■特集大締め 中継:南三陸町

金平
あれから5年の今、つくづく思うのですが、「復興」とは一体何なのでしょうか?「復興」の主人公は、一体誰なのでしょうか。当たり前ながら、住民が中心になっていなければなりません。 
政治は、それにきちんと対応してきただろうか?と考えざるを得ません。
特に強調しておきたいのは、原発をめぐる国の政策の無定見ぶりです。
現在の政権は、原発の再稼働を次々に、まるで「国策」であるかのように
推し進めています。
つい3日前、大津地裁が高浜原発の運転停止を命じる決定を下しましたが、
その後も政府は原発は必要だと明言しています。
果たして、福島の現実に目を向けて言っている言葉なのでしょうか。
最後になりますが、オリンピック開催や、「花は咲く」といった
ポジティブなストーリー、美談が、とかく前面に押し出される陰で、
私たちは5年という節目だからこそ、
あえて厳しい側面を正面から見据え、
弱い立場の人々にこそ、声を上げられない人々にこそ、
寄り添っていくことが必要なのではないでしょうか。

以上、南三陸からでした。
(以下省略)



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