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日下部正樹
1985年 TBS入社。
政治部、香港支局長、北京支局長、外信部デスクなどを務め、2010年9月までは、ソウル支局長。

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歌われるべき言葉

横浜反町に小さなトルコ料理屋があります。
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駅から近くもないし目立たない場所にあるのですが、
味とトルコ人スタッフの人柄の良さからか結構賑わっています。
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店内にはたいがいトルコのポップミュージックが流れていて、
僕がトルコのスーパースター「タルカン」を知ったのもこの店でした。
店で何度か彼の音楽を耳にして気になったので、
トルコ人スタッフに誰の曲かと聞いたら
「タルカンも知らないのか。」と言われました。
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日本でも彼のアルバムはほとんど手に入る事から、
日本にも相当ファンがいるのでしょう。
7YcWU_pl2m.jpg
彼のアルバムにはトルコ語で歌ったものと
海外マーケットを意識して英語で歌ったものがあるのですが、
圧倒的にトルコ語で歌った方がいいのですね。
私はトルコ語が全く解りません。
つまり彼の歌を楽器と同じひとつの音として聞いているはずなのに、
不思議ですね。
VtTDUmxq_0.jpg
これと同じような印象を持ったのは
1990年代に活躍した台湾の「黒名単工作室」です。
中国大陸から逃れてきた国民党の独裁が
続いていた台湾では公用語は北京官話(北京語)で、
地元の言葉である台湾語は80年代まで
放送や教育の場から締め出されていました。
VePVoieXK5.jpg
80年代末に台湾語に対する規制が徐々に緩む中
登場したのが「黒名単工作室」です。
ロックからフォーク、ラップまで
台湾語で自在に歌う彼らは
台湾人の独自性を強烈にアピールし、
台湾独立派の人々の圧倒的な支持を受けました。
90年代の民主化の大きなうねりの中で
ゲリラ的に活動していた海賊ラジオ局を取材した際
彼らの曲が何度も流れていたのを思い出します。
僕は北京語も大して出来ないし、
台湾語はまるっきりだめだけど
それでも「黒名単工作室」は台湾語で歌うからいいのです。

北京語ではだめなんですね。



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