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日下部正樹
1985年 TBS入社。
政治部、香港支局長、北京支局長、外信部デスクなどを務め、2010年9月までは、ソウル支局長。

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河畔で考えたこと

この夏、私は10年ぶりに上海・外灘を歩いていました。
中国駐在歴25年におよぶ高校時代の友人と
雲南料理を堪能した後、
腹ごなしにと夜の散歩を決め込んだのです。
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外灘を代表する税関ビルや旧香港上海銀行ビル。
蒋介石と宋美齢が披露宴を行った旧サッスーンハウス。
今は中国の銀行の支店などになっていますが、
横浜商金ビル、台湾銀行ビル、日清ビルなど
かつての日本系のビルディングが
外灘の町並みを形作る上で重要な要素となっており、
当時の上海と日本の関係が伺われます。
まあ、今も長期滞在する日本人が
最も多い海外の都市は上海ですが・・・
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外灘の川沿いは多くの人達で込み合っていました。
ただ、私が外灘の歴史的なビルディングに見入っているのに対し、
中国の人々の視線は反対に黄浦江を向こう側に注がれていました。
外灘のビル群が摩天楼なら、
浦東地区はそんなノスタルジックな感傷を許さない
超近代的な高層ビルが林立する街です。
黄浦江にキラキラとネオンの光を落とす新しい街を見ながら、
超高層ビルを夜景に見惚れる中国の人たちの表情を見ながら、
ふと「ああ上海が目指すのは香港なのだな」と思いました。
DZ8UOI4gBb.jpg
飛ぶ鳥を落とす勢いの上海と斜陽気味の香港を比べるなんて
馬鹿げているかもしれません。
しかし私の目には黄浦江越しの浦東の街と
ビクトリアハーバー越しの香港島がぴたりと重なったのです。
しかも単に外観だけでなく、もっと深いところで
ふたつの街が重なるような気がして仕方ないのです。

97年の返還をはさみ私は4年間香港に駐在しました。
そこで感じたのは上海人の存在の大きさです。
香港は実は上海人に牛耳られているのではないか
と感じた事も少なくありません。

広東人は確かに商売上手だけど、
香港を世界的な経済都市にしたのは
戦後、共産党政権を嫌って香港に逃れた
上海人ではないかとずっと感じていました。

20世紀初頭に西洋の侵略を受けながらも
主に英国と先進都市「上海」を作り上げた上海人は、
香港の地で再び英国と先進都市作りに励んだのではないか。
当時、資本主義の最先端を行っていた上海人が活躍するのに、
もともと商売っけたっぷりの広東の地は
最高の舞台だったのではないか。

東洋と西洋が出会うところ
スコットランドやユダヤ商人が跋扈し、
北京官語は建前を話す言葉に過ぎず、
歴史より今日を語り、
華やかな一方、欲望の闇も深い、
そして中国にありながら限りなく無国籍な街。
「魔都」上海と「東洋の真珠」香港は
私の頭の中でじわじわと重なってゆくのです。
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上海は再び世界有数の経済都市となりました。

まばゆい浦東の街を見ながら
上海と香港の関係について
そんなとりとめない事を考えていました。



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  • bunさん
  • 2011/09/05 14:48
上海と香港の関係にかんする考察。

とても勉強になりました!