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日下部正樹
1985年 TBS入社。
政治部、香港支局長、北京支局長、外信部デスクなどを務め、2010年9月までは、ソウル支局長。

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間島(緩衝地帯)にて

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白頭山と長白山。

ふたつの名前で
呼ばれることからわかるように、
白頭山は山を二分するように
北朝鮮と中国の国境線が引かれています。
1962年に北朝鮮と中国の間で
国境が確定されましたが、
韓国内には
「朝鮮戦争で借りを作った
金日成が中国に譲歩した」として
中朝間の合意を認めず、
白頭山はあくまで朝鮮(韓国)側に
帰属するとの主張が根強くあります。
白頭山一帯は
観光地の華やかなイメージの一方で
周辺国の利益や思惑が複雑に絡みあう
非常に敏感な土地でもあります。
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歴史を少し紐解くだけで
この山がその優雅な名に
似つかわしくない場所に
位置している事が明らかになります。

隋を苦しめ続けた高句麗。
唐から「海東の盛国」と呼ばれた渤海。
中国北部を支配下に収めた
契丹の遼。女真の金。
いずれも白頭山周辺を拠点として
漢族中国を圧迫し続け、
女真の末裔である満洲族は
ついに征服王朝・清を確立しました。
2zgHR5xDwi.jpg
北朝鮮の金日成主席が
植民地支配からの解放を目指し
抗日闘争を始めたのもこの地です。
戦前、白頭山一帯は「間島」と呼ばれ、
名前が示すとおり、
近代になってからも
帰属が曖昧な土地でした。
日本や中国の官憲の手が
及ばない空白地帯は
抗日闘争を展開するには格好の舞台でした。
やがて日本の傀儡国家満洲国が
建国されるにおよび
追及が厳しくなり
金日成主席は旧ソ連領内に逃れます。
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さらに時代を下れば中ソ対立があり、
その狭間で
北朝鮮は生き残りの道を模索し続ける。
東アジアにおいて
長きにわたり民族や国家がぶつかり、
あるいは混じり合った場所は
他に見当たりません。
溶岩台地が広がる
一見穏やかな土地は
民族興亡のいわばホットスポットなのです。

今回はこの地が今も国家権力が
角突き合わせる地である事を
実感できる場所も訪れました。
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吉林省の東端。防川。
写真に見える川は豆満江。
川の右側が北朝鮮。
川の左側と池の部分がロシア。
そして手前の森が中国。
写真ではわかりにくいのですが
遠くには日本海も見えます。

三カ国の国境が交わるところ。
地元ではこの土地を
「鶏が泣けば三国で聞こえ。
 犬が吠えれば三国の人が驚く」と言います。

国境と言うのは島国の日本人には
実感しにくいとよく言われますが、
そんなことはない、
教科書にも出てくる1938年の
張鼓峰事件は
まさにこの地で起きた国境紛争です。

日本軍は領土をめぐりソ連と衝突し、
2週間で1400名もの死傷者を出したのです。
「なぜ日本人はこの地において
かくも多くの血を流さなくてはならなかったのか。」
歴史書を読んで時代的背景は
頭の中で理解したつもりでしたが、
実際に現場に立つと
疑問は却って深まるのでした。
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人家もまばらな国境地帯には
中国の通信会社の電波基地局が
いくつも立っていました。
相当寂れたところでも
しっかり携帯が通じます。
ロシアから強い電波がくるので
基地局が必要との説明でした。
一見穏やかに見える土地が
軍事上の要所である事を伺わせる話です。
一方で、最近、北朝鮮の住民たちの
暮らしぶりについて情報が増えたのは、
国境付近の北朝鮮住民が
中国の携帯電話を手に入れ、
中国側の親族たちに
日々の出来事や生活の窮状を
頻繁に伝える事が
出来るようになったと言う背景があります。
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「間島」は今も民族と国家の
緩衝地帯として
特別な場所であり続けています。



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