プロフィール

プロフィール画像
日下部正樹
1985年 TBS入社。
政治部、香港支局長、北京支局長、外信部デスクなどを務め、2010年9月までは、ソウル支局長。

カレンダー

<<   2019年11月   >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近の記事

カテゴリ

月別アーカイブ

<<   2019年   >>

このブログで使用したタグ

ブックマーク


重たい空気

台湾映画の傑作「悲情城市」に
次のようなシーンがあります。
uxL_VpUUW6.jpg
終戦直後、台湾北部の街の酒場で
台湾の若き知識人と
大陸から来た記者たちが
酒を酌み交わしています。
話題は台湾の中国復帰。
台湾人は祖国復帰を
歓迎する言葉を口にしますが、
どこかうわべだけの紋切型の言葉ばかり。
やがてひとりの台湾側の若者がふと
大陸から来た為政者への不満を口にします。
一瞬にして重たい沈黙が・・・
そんな空気を断ち切るかのように
中台の若者たちが唱いだすが「松花江上」。
「9(ジョー)1(イー)8(パー)」
というフレーズが印象的な抗日歌です。

“九一八”,“九一八”,
从那个悲惨的时候,
脱离了我的家乡,
抛弃那无尽的宝藏,
流浪!流浪!
哪年,哪月,
才能够回到我那可爱的故乡?
哪年,哪月,
才能够收回我那无尽的宝藏

以下拙訳です。

918、918
悲惨なあの時から
我が故郷を離れ
無尽の宝を捨て
流浪!流浪!
どの年、どの月に
愛する故郷に帰ることができるのか。
どの年、どの月に
無尽の宝を取り戻すことができるのか。

「918」とは9月18日のこと。
81年前の9月18日、
中国東北部奉天(現在の瀋陽)郊外で
南満洲鉄道の線路が爆破されました。
満州事変の勃発です。
qAjMuPYqiU.jpg
関東軍が引き起こした謀略事件ですが、
918と満州事変がすぐに結びつく人は
いまの日本にはほとんどいないでしょう。
片や中国では918は国恥日として
人々の深く胸に刻み込まれています。
「悲情城市」の上記シーンは
918が中華民族を
ひとつに結びつける絆であることを描いた
印象的なシーンです。
eprvZy4n9k.jpg
今年の9月18日。中国全土は
尖閣諸島をめぐり
反日の嵐が吹き荒れていました。

私は以前から計画していた取材の為
9月18日前後は北京に滞在していましたが、
重苦しい空気に押しつぶされそうな
緊張を強いられる滞在となりました。

まず日本語が話せない。
話したところで何も起きないかもしれません。
しかしどうも話しにくい。
日本人同士で移動する際も
会話が必要なタクシーはやはり敬遠してしまいます。
日本人が乗車拒否されたとか
高速道路で降ろされたとか
未確認情報が飛び交っています。
mxmPXhr1SX.jpg
そこで移動はもっぱら公共交通を使います。
地下鉄に乗ってもひたすら無言。
目配せで乗り換え駅を知らせ合います。
epTtoHyxHf.jpg
やっとたどり着いた食堂で
美味しい中華料理を囲んでも会話がはずみません。
周りの中国人の視線が気になります。
思い込みに過ぎないのでしょうが
つい小声になってしまいます。
bGWFwxMaI3.jpg
日本大使館周辺のデモの現場にも足を運びました。
大使館前の道路は車の通行が禁止され、
デモ隊が気勢をあげています。
おっかなびっくりデモ隊を見ていると
警官に立ち止まるなと注意されます。
無言のまま頷いて現場を離れます。
ちょっとレポートできる雰囲気ではありません。
psYiymzziT.jpg
デモの参加者の多くが若者なのに
手に手に毛沢東の肖像を持っているのは
奇異な感じがしました。
彼らが生まれるずっと前の人物なのに・・・
文化大革命の時、
「造反有理」を叫び
乱暴狼藉をはたらく若者たちの手に
毛語録があったように、
「愛国無罪」だと日本車を襲い、
日系スーパーで略奪をはたらく若者達にとって
毛沢東は免罪符なのでしょうか。
MC1mP0IMLg.jpg
デモ現場での彼らの行動は
中国がまだまだ未成熟な社会であることを
さらけ出しました。
ただデモの現場を離れると
空気はガラリと変わり
緩んだものとなりました。
そこで私が経験したことも
報告しなければならないでしょう。
_TwoM3XAB1.jpg
日本大使館の近くの餃子屋さんで
昼食をとった時のこと
私たちを日本人グループだと知った女性店員が
「ここだと不愉快な思いを
 するかもしれないから。」と
我々を大部屋から個室に移してくれました。
(実際に日本人だと思われたのは
 中国人の通訳さんだったのですが・・・)
そこで食べた餃子は実に美味しかった。
VLdBzi2S1w.jpg
夜間に私ひとりで北京から
地方に移動しようとしたところ
飛行機が大幅に遅れ、
移動を諦めた時も空港のスタッフは
キャンセルや荷物の運び出しの手続きを
笑顔でこなしてくれました。
もちろん私が日本人であることは
みな知っています。
宿に戻るため
深夜のタクシーにひとりで乗りましたが
高速道路で引きずり降ろされることもなく
運転手さんはスーツケースを私に手渡すと
「気をつけて」と去ってゆきました。
翌日むかった地方の村で待っていたのは
反日の嵐ではなく白酒による乾杯の嵐でした。
LgN2iDbq26.jpg
暴徒化した中国人に怒りを覚える一方で、
普段気づかなかった中国人の心遣いが
本当に嬉しく心にしみました。

あれから10日がたち、
私はいまこのブログを
再び訪れた北京で書いています。
尖閣問題はまだくすぶっていますが、
10日前の緊張感はありません。
まるでスイッチを切ったかのように
あの重たい空気は消えてしまいました。
SZdcIXnpzv.jpg
大気汚染が深刻な北京ですが、
今日の空はめずらしく晴れ渡っています。



この記事へのコメント
印は入力必須項目です。
名前
コメント
画像認証 :

表示されている数字を半角で入力してください。
 
  • 内田 英一さん
  • 2012/10/01 21:05
「悲情城市」の映画は見たことがあります。私は県立高校で中国語の非常勤講師をして13年目になります。来年度の履修生徒は10名程度と途中調査結果が出ています。多いときは100名を超えていました。今年度が私の中国語教師最後の年になるかもしれません。(熊本県・51歳)