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「3世紀後に、完成する革命」 - 須田和博

前川さんの新しいエントリーに、グッと来た。
かなり、「キタコレ感」をいただいた。

>「21世紀は17世紀に回帰する」

この一言を、ひろって、あやとりたい欲求に、
猛烈に、突き動かされた。

・・と、いいつつ、そのためには、まず、
17世紀について、勉強しないと、いけないので、、、

それは、年末年始の宿題として。。


まず先に、絡みたいのは、下記である。

>例えば<近代国家>は高々300年程度のものにも関わらず、
>何故国家が人間の行為としての生活や仕事、
>この場合でいえばネット/サイバー空間を支配する(=出来る)のか

これは、賛美こそしていないものの、
ウィキリークスに対する、支持表明に1票入れる問いかけではないだろうか。

前川さんは、ご自身で、この問いに、こう答える。

>「政治の幅より生活の幅の方が広いのに、何故、政治が生活を
>支配するかと言えば、そこに権力があるからだ」といういい方がある

国家や会社よりも「サーバー」への帰属意識が高い自分にとっては、
「権力」とはすなわち、「サーバー・メンテナンス」だったりする。(笑)

>人間はネットによって政治(=権力行為)に
>支配されない領域を持ってしまったということになる

そう。それゆえにこそ、いきなり、レベルが低い話で恐縮だが、
「書こうと思ったのに、書けない!」とか、
「見ようと思ったのに、見れない!」と憤ったりするのは、
今日では、ほとんど「サーバーと回線の問題」だったりする。(笑、butマジ)


グーグルが独占禁止法に抵触するのではないか?
という問題提起が各国で起きている。

それは、隠しようもなく、そうだろう。

だが、デジタルの中にあっては、すべての情報は、
万全に連結された1つのシステムに帰属してた方が、効率的であり速度も速い。
(その分、文系・理系の両面で「危険」ともいえるが)

もし、グーグルが「権力」を行使するとしたら、
それは、「地球上のすべての情報を整理し尽くす」という、
たったひとつの社是のために、だろう。

それは、ウィキリークスの理想とも合致する、極めて21世紀的な、
ワールド・ワイド・ウェブが生まれた時からの夢である。


そして、前川さんは、21世紀に言及する際に、下記のように預言する。

>新たな形での「万人の万人に対する闘争」状態が再来しつつある

ソーシャルメディアを、こんな風に考えてみたことは、今までなかった。
新鮮で刺激的な視点を、いただいた。

人々の「つながり」を、理想的に無境界化し、完璧にFLATにしようとする、
インターネット、そして、ソーシャルメディア。

そこをリングにした、新しい「階級闘争」が起きている、という指摘は、
悲しいかな、案外、的を得ている。

せっかく21世紀らしい「場」が、出現したのに、
そこで、相変わらず人間は、20世紀のような「影響力の強大さ」を、
競い合っていたりする。

これは、とても、難しい課題なのだが、なんとしても、克服したいことだ。
もう21世紀なんだから、「ヒトの本性」もそろそろ進化しようよ!
と、言いたい。


とあるWEBクリエーターの方に、飲みの席で、
やや憤った感じで、こう言われたことがある。

「須田さん!インターネットとは、ヒトの革新ではなかったのですか?」と。

ちなみに、「ヒトの革新」とは、初代ガンダムのメイン・クレームを成す、
「ニュータイプ」の定義の決まり文句。

彼の憤りは、こう続く。「なのに、結局、何も変わんなくて、
ただ忙しくなっただけじゃないですか?」と。

自分はそれに、こう答える以外なかった。
「・・ですよね。でも、まあ、そう言わないでさぁ・・」と。


>若しも政治と人間の関係(国家あるいは権力と人間の契約関係)の
>見直しを<革命>というならば、
>「インターネットの登場は革命的」だと喧伝された、
>その本当の<革命性>はそこにあるように思われる。

「権力」ということに関していえば、掛け値なしに、
「民間TV放送の出現」は、ひとつの革命だったはずだ。

だが、それが、「ヒトの革新」を生んだか?と、問えば、
「まあ、そういわないでさぁ・・」としか、今のところいえない。

そしてそれが、さらに「ラジカルな形」で、もう1段階進むのが、
インターネットであり、ウィキリークスなんだと思う。

3世紀後くらいに、歴史を俯瞰すれば、論を待たず、
そういう結論になるだろう。

その未来視点に立つ時、前川さんのいう、
>「人は知ることの重みにどれほど耐えられるか」
という、問いただしが、ボディブローのように、効いてくる。

それは、テレビ局や、国家や、そもそもユーザー自身という、
きわめて「人間的なモノ」に対して、
インターネットという「機械的なモノ」が、未来から挑戦をしてきているのだ、
と取ることも出来るかもしれない。


「FLAT革命」の真の姿は、きっと、その未来に、あるだろう。

しかし、その革命は、17世紀が21世紀になるのと、同じくらいの年月を、
「人類」に要求するのではないだろうか?

人類は、本当に、相変わらずで、毎晩のように、
「まあ、そういわないでさぁ・・」と言ってばかりだから。。


とか、言いつつ、2010年が暮れてゆく。
まあ、そういわないで、皆さま「よいお年を!」。



須田和博(スダカズヒロ)プロフィール
1990年 博報堂入社。「使ってもらえる広告」著者。クリエィティブ・ディレクター。現在、エンゲージメント・ビジネス・ユニット在籍。多摩美術大学GD科卒業後、デザイナーとして博報堂に入り、以後、アートディレクター、CMプランナー、WEBディレクターと、7年周期で制作領域を遍歴。全媒体を作り手として把握できる、広告業界でも希な制作ディレクター。2009年「ミクシィ年賀状」で、東京インタラクティブ・アドアワード・グランプリと、カンヌ国際広告祭メディア・ライオンを受賞。新潟県・新潟市出身。



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