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「ネットへの規制と時代によって変わるメディアの必然」 ― 志村一隆

インフラとしてのインターネットに国家はどう関わるのか

2010年12月21日、FCCが「内容によってコンテンツの排除はしないが、大量の利用者には従量課金制を認める」という採決をしました。
それに対して、アメリカの大手通信キャリアベライゾンが、「FCCにはそのようなことを言う権限はないはずだ」という訴訟を起こしています。アメリカの経済界は、政治への影響力が日本では想像できないくらいあり、法律は自分が有利なように変えるものだという積極的な姿勢が根付いています。
大手通信事業社やケーブルテレビ局は、国家からの規制を少なくし、インターネットの利用料を上げたり、ヘビーユーザーや映像配信サイトへのアクセスを制限することで、インフラ投資に見合う利潤を得たいと思っているでしょう。いっぽう、グーグルや多くのIT企業と消費者団体は、表現の自由が失われるとして、インターネットの従量制課金やアクセス制限に反対です。
FCCのゲナコウスキー委員長は、インターネットはオープンで誰もが自由に利用できなくてはならず、それがイノベーションの源泉となり、アメリカの競争力が維持される、という考えを持っています。
2011年1月に行われたCES2011での講演でも、モバイルブロードバンドインフラの整備がこれからの世界的な競争力を持つ基盤になると話していました。
ウィキリークスは、政府情報をスクープしたことで、アメリカ政府から非難されています。しかし、FCCやオバマ政権は、インターネットそのものは、誰もが自由にアクセスできる基盤であることを守る方向性です。私もその考えに賛成です。インターネットは自由な(受け手側に選択・編集権がある)世界であり続けて欲しいと思います。第3者による監視がなければ、最大利潤を追求し、アクセス制限をかける事業者が出てくるでしょう。
参入障壁が低く、透明性の高い市場を維持するための規制であり続けて欲しいと思います。

メディアは代替物ではないのか?

前川さんは、「存在理由としてのテレビの時間性」をあげ、「テレビはその時間性を免許で制度化したなかでメディアとしての可能性を問うている」と述べています。
その可能性とはなにか?まず思い浮かぶのは、制度化されたマスメディアとして同じ世代や社会で共同体験を獲得させることでしょうか。
もしテレビが、届け制、無免許制だったら?それでも、テレビは、時間性、対象との同時進行性は持ち得たでしょう。
しかし、ツイッターのリアルタイムつぶやき、フェイスブックの実名、クリエイターの直接配信、など同時進行性はテクノロジーの進化で代替できる価値だと思います。
もし、テレビに刻印されたものが同時性だけならば、それは時代とともに代替されていくでしょう。
時間性、同時進行性はテレビに限らず、人々の支持を得るためにあらゆるメディア、コンテンツ、アートが内包すべきモノです。では、<リアル>とは何か? 私は、オリジナル性だと思います。インターネットは、送り手と受け手の間に介在するメディアの役割を受け手側に委ねます。メディアは時代によって変わる。だったら、制度化されないインターネットの時代には、コンテンツで生きるのが、テレビの役割だと思います。



志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学でMBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka



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