[時間性・・・メディア論と表現論] ― “せんぱい”前川英樹

大震災前の河尻さんポスト以来、リアクションしなければいけない沢山のポストがあって、返済計画が狂ってしまったローンを抱えている気分だ。須田さんに約束した「切りとれ、あの祈る手を―<本>と<革命>をめぐる五つの夜話―」についてのフォローも放り出したままだ。大震災はこんなところにまで影響している。大した影響ではないといえばそうなのだが、では<震災前>にすらっと戻れるかといえばそうでもない。結構面倒なのだ、元に戻るということは。
で、リアクションしやすいところからという訳で、直近の志村さんポストに反応して、それからまた考えようと思う。

1. さて、志村さんはこのあやプロにいっぱい投稿していて、毎度その対象範囲の広さと反応の速さに感心しているのだが、このところ“せんぱい的”に見ると、ということは相当の偏見あるいは趣味的印象ということだが、フォーカスが合ってきたなァ・・・という感じだ。偉そうで、ゴメン。どうしてそう思うのか、以下、そのことについてのメモ。

2. メディア論としての<時間性>
あの衝撃的(OA当時、まさに衝撃的だった!)ドキュメンタリー「あなたは・・・・」を観た志村さんは、テレビは「時間性(リアルタイム)」をソーシャルメディアに譲って、リアルに徹してはどうか、という。
いま、事象とメディアの同時進行という点で、ソーシャルメディアの果たしている役割は無視しえない。確かに、その点でテレビの方が事象の後追いに追われているように思える。ただ、あの津波のライブ映像の“凄さ”は、テレビの時間性のポテンシャリティーを垣間見せた。だが、そうだからといって、テレビがソーシャルメディアと同じ地平で「時間性」を競う根拠にはならない。
だが、これも以前にこのあやプロの何処かで書いたと思うのだが、テレビの時間性は一義的にはライブ性であり、それは周波数監理という権力行為との緊張関係、どこかでその権力行為の外に踏み出し得る危うさ、そこにこそテレビの存在理由がある、ということだ。
このことは、ソーシャルメディアの時間性、つまり事象とメディアの同時進行とは、現象的にはダブりながら、しかし原理的には違うことのように思える。但し、繰り返すが、だからと言ってテレビがソーシャルメディアの「時間性」にとってかわるなどということはあり得ないし、そのような「時間性」は素直に譲ってしまえばよいのである。

3. 表現論としての「時間性」
「あなたは・・・・」の萩元晴彦氏は、ラジオからテレビに転じた時に、「テレビは絵だよ」とテレビ制作者たちに言われた。だが、萩元氏はドキュメンタリー制作を経験する中でその言葉に疑念を抱き、「テレビとは何か」を制作の基本スタンスとし、そこから「テレビは時間である」という予感に至ったという。
その萩元氏と出会い、共同制作する中で「テレビジョンの方法について衝撃的な転回点をつかんだことを意識」した村木良彦氏は、その後生中継からフィルム制作までの幅でドキュメンタリーを集中的に制作するが、終始「テレビジョンは時間である」という視点は変わらなかった。つまり、その場合のテレビジョンの「時間性」とは、メディア論としてのライブ(リアルタイム)性ではなく、ライブ性も含んだ表現論=方法論としての時間性であったと考えられる。その上で、村木氏はドラマ、バラエティー、スポーツからCMまで(つまり、いまテレビが<リアル>と感じられている表現領域)すべてをドキュメンタリーとして、認識している。
そう考えると、テレビらおける「時間性」と<リアル>の関係は、60年代テレビ論の中で、かなり本質的な提起が既になされていたのであって、しかしそれにもかかわらず、そうした提起をテレビ総体が放置して来たということができるだろう。もっとも、テレビ論で視聴率が取れるか、といわれれば「ごもっとも」というしかないのもまた現実ではあったのだ。
参考:「おまえはただの現在に過ぎない―テレビに何が可能か―」(萩元晴彦、村木良彦、今野勉・田畑書店1969年・朝日文庫2008年再刊)、「ぼくのテレビジョン―あるいはテレビジョン自身のための広告―」(村木良彦・1971年田畑書店)

4. ソーシャルメディアと表現
さて、「あなたは・・・・」を観て<リアル>を感じたとすれば、それは表現論としての「時間性」が<リアル>と相関しているということになると思うのだが、そうだとして、ではソーシャルメディアにおいてこの問題はどこにつながるのだろう。ソーシャルメディアに表現論的領域は成立するのだろうか。
成立するはずだ、というのがぼくの直感である。それは何故かというならば、コンテンツ(=情報)はメディアを選ぶからであり、選ばれたメディアでその情報がどのようにデザインされるかは、まさにクリエイティビティーの問題だからだ。そういうと、リビアやその他危険地帯から発信されるジャーナリストの映像は、メディアを選んでいる場合ではないし、デザインという言葉から遠い画質音質のものだという反応があるかもしれないが、それはその時<彼>はそのようにメディアを選び、情報をそのようにデザインしているのだと、ぼくは考える。
選ばれたメディアで、情報をデザインする、これこそまさに須田的世界ではあるまいか。あるいは、河尻さんが「入れ子構造のハブ化」という時に、この問題が意識されていたのではあるまいか。
この「時間性」と<リアル>ということについて、志村さんはぼくよりも須田さんや河尻さんと話をした方が良い。ぼくは現役時代の約20年ディレクターをしていたが、残念ながらA,B,CでいえばB+レベルだった。野球でいえば、2割5分は努力で打てるが、3割打者になるには天性の才能が必要だという、その才能の限界を感じたものだった。須田さんも、河尻さんも3割を超える打者であるに違いない。
そういう人たちの発想、切り口は刺戟的なはずだ。
お二人とも反応して下さいな。

5. 60年代論・・・おまけ
ところで、志村さんは「あなたは・・・・」の中で、「あなたにとって幸福とは何ですか」という問いに、かなりの人たちが「平凡な暮らし」と答えていることに「えっ?」と思ったという。<欲>が経済成長を生んだのではないか、それが資本主義のはずなのに、「平凡とは何だ?」という志村的理解を読んで、ああそういう風に思うんだ、と思った。
資本主義は<欲>が生むと認めたとしても、資本主義と「人々」とは同義語ではないだろう。資本は人から自立して運動する。
あの時代、人々は郊外の開発で出来た団地へ、その2DKの居住空間に住むことが憧れであり、人々の<欲>の実現だった。地方から出てきた学生の大半は3畳間に下宿(これも死語か?)していて、4畳半は贅沢だった。仕事を頑張り、家族そろって団地で暮らす、それが「幸福=平凡」だったのだ。そして、彼らの労働(と、経営努力)により日本資本主義は大飛躍、大成長する。
60年代、敗戦直後の絶対的飢えは朝鮮特需で解消しつつあり、学生食堂に行けば、まあ食生活は何とかなった。「アジ定」もあったしね、須田さん!それなのに、60年安保は空前絶後(現在までアレを越える大衆的政治運動はない)の街頭行動を実現した。人が街頭に出る理由は、空腹と空虚だと河尻さんはいうが、60年安保はどちらかといえば空虚に近いが、それとも少し違ったようだ。もうチョット身体的な思想に近かったように思う。
それは、安保闘争=全学連主流派=先行的新左翼という行動と並行して、同世代的な行為として「平凡パンチ」=プレスリー=車というような現象があり、それは多分何処かで通底していたことからもいえると思う。一言でいえば、旧世代の突き崩しである。吉本隆明はまことに見事にそこを突いたのだった。

6. だから(と、牽強付会にいえば)、ソーシャルメディアが「革命的」であるかどうかは、メディアの在り方の問題を越えて「旧世代=現世界の突き崩し」という求心力が成立するかどうかの問題であるように思うのだ。コミュニケーションの変革とはそういうものであろう。その代表がアサンジなのかどうか、ぼくは知らない。

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矢野さんの初ポストにリアクションできなくてゴメンなさい。
一つだけ。「私たちはまさにいま『情報難民』なのかもしれない。正しい情報が一元化されてすっと私たちの手元に届き、世界で共有でき、それをもとにひとりひとりが最善の行動をとれるというのは夢物語なのだろうか」と矢野さんは書く。これだけ情報が混乱すれば、ホントにそう思いたくもなる。それに、結局<人々>は、行政など「公」的機関の判断を取り敢えずは尊重してしまうだろう。だけど「一元化された正しい情報」の危うさはテークノートしておこう。ソーシャルメディアの誕生は、その点でやはり素晴らしい・・・と思う。何を信用したらいいのかというアポリアから、人はいつまでたっても逃れられない。
でも、CIOっていう発想は良いね。



前川英樹(マエカワ ヒデキ)プロフィール
1964年TBS入社 <アラコキ(古希)>です。TBS人生の前半はドラマなど番組制作。42歳のある日突然メディア企画開発部門に異動。ハイビジョン・BS・地デジというポストアナログ地上波の「王道」(当時はいばらの道?)を歩く。キーワードは“蹴手繰り(ケダグリ)でも出足払いでもいいから NHKに勝とう!”。誰もやってないことが色々出来て面白かった。でも、気がつけばテレビはネットの大波の中でバタバタ。さて、どうしますかね。当面の目標、シーズンに30日スキーを滑ること。



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