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「盛り上がった“あやぶろ会”とその後のメール論議」③ - 氏家 夏彦

■2011年7月28日15:53(前川)
氏家さん 皆さん

7.22.(リアルあやブロ)の後、の皆さんのメール交換は、河尻さんの言うようにかなりのレベルのものだと思います。で、少し書き足そうと思って書きだしたら、そこそこのボリュームになってしまいました。添付の形でお送りします(ついでに、pptも一枚)。

氏家さん
どういう扱いにします?一連の「ありがとうございました」メールを編集して「あやブロ化」する思うので、というかそうしない勿体ない、でも「それならもう少し書きたい」という人も出てくるかもしれない、というあたりが管理人の腕の見せ所、ヨロシク。

前川


■2011年7月28日16:45(志村)
皆様
こんにちは。
マスカルチャーの祝祭性、誰が担うのかに関して:
自分は祝祭のサイズが小さく、分散していくだけだと思います。それは、対マスメディアという文脈において、ソーシャルメディアの機能、文化の影響大だと思います。
いままでの日本の場合はマスメディアの影響大で国全体でしたが、自分の実感は、東京でも大きすぎて、人形町とか、千葉市とか、それくらいの範囲でないと、どうも物語を共有できないような感じです。

祝祭をメディアが担わなければ、次の候補はスポーツですかね。
アメリカでは、スーパーボウル=ネットワークが中継、次に4大スポーツ=地域のチームを応援=ローカル局、ケーブルテレビがあり、そこにカレッジフットボール=卒業しても応援、バスケなども絡むピラミッド型になっています。
ヨーロッパは、サッカーですよね。日本では昨日のテレビ番組を職場で話さなくなったと言われますが、ヨーロッパではそもそもテレビ番組自体つまらないはずです。2月バルセロナ行ったときは、いまバルサは勝っているのか?といった会話を友人がタクシーやバーで交わしていました。この前のW杯以前は、国としてのスペインは弱かったですよね。

こんなことを書くのもちょうど、今日青山で蕎麦を食べていたら、隣に座った若者がスワローズの話をしていて、その人が帰ったあと、次に座った人もまた野球の話をしていたからです。。
なるほど、人は共通の話題を求め、メディアの次はビッグスポーツかと。。

てなことを考えると、年1回だけのスーパーボウル的なイベントの組み方を、プロ野球も考えると面白いのではないでしょうか。祝祭はコミュニティに必要であれば、メディアではなく違うものが担うようになるのではないでしょうか。

フェイスブックを利用してオバマ大統領が選挙に勝った様子もまさにソーシャルメディアと祝祭という視点で考えれば面白いと思います。アメリカに居た頃、クラスの半分はジョージア州から出たこと無い人でした。。。
彼らの共同体意識は、アメリカというよりジョージア州です。それよりも小さい都市かもしれません。そのコミュニティのためのローカルメディアであり、タウンミーティングなんでしょう。国より地域、そして無数のコミュニティをテクノロジーで集結させたのが、オバマのフェイスブック選挙なんでしょうか。

河尻さんのおっしゃる物語性も、プロの編集者ではなく、プロのイベンターとか、政治家とかが担うのではないかと思いますが、どうでしょうか。。。
それこそ、前川さんのおっしゃる通り、メディアではなく職業ですよね。

セミナー、自分は9月10日にサンフランシスコに飛び立ちますが、あとは大丈夫です!


■2011年7月28日18:05(氏家)
皆さま
えー、皆様うすうすお察しいただいていると思いますが、前川さんのおっしゃるようにあやぶろ会以降のメールのやりとりは、中味が濃くて、あやぶろのコンテンツに十分なる品質です。
で、ここいらあたりでちょいとまとめて、ブログのエントリーとしたいのですが、どうでしょう?

氏家


■2011年7月28日18:24(志村)
こんにちは!お手数をおかけします。自分のは自由にお使いください!


■2011年7月29日 9:39(木原)
氏家さま、みなさま
全く同感です。異論ありません。私は挨拶しかしていませんが・・・・
皆さんのやりとり面白かった!

木原


■2011年7月29日9:41(氏家)
木原さん
まだ、まとめ作業に入ってないから、何か絡んで下さいよ!
氏家


■2011年7月29日14:03(木原)
木原です。管理人の誘いに乗りました。

「志村さんと河尻さんのやりとりを読みながら感じたこと」

時期が遭えばアメリカで体験してみたいことのひとつに、スーパーボウルの開催前後の雰囲気に浸りたい、というのがあげられます。スタジアムで試合を見たいというのではなく、彼の地の人たちがどんなふうに過ごしているか。

聞くところによると、スーパーボウルの開催される2月第一週の日曜日は、陽の高い時間帯から、親戚・友人が三々五々集まってビールを飲みながら、フライドチキンをツマみながら、テレビの前で試合開始を待つ。その期待感は大物アーティストの国歌斉唱のときピークに達し、その高揚感のまま試合観戦に突入。試合以外にもハーフタイムショウ、この日のために用意されたスペシャルCMと話題は満載。多い家では数十人が集まるそうですから、ホストとなる家を目当てに、大型テレビ(プロジェクター)のレンタル屋も活躍することあるとか・・・。

これも一種の「ソーシャル」なのか、祝祭中の祝祭的なものなのか、こうした視聴生態がいつごろから、どのようにして出来上がったのか、さらにはスーパーボウルだけがなぜこのようなかたちで発展することに成功したのか、おおいに興味があるとことです。

テレビを観ることをひとつの口実に、テレビを観るためだけではなく集まる。
「中心にテレビというメディアがあるけれどしかし、」というのは、たぶんカンヌのテレビCMと同じような状態なのかも。
「レコード大賞」や「紅白」との比較も面白いかもしれませんね。「家族間の祝祭的なもの」と「コミュニティ間の祝祭的なもの」、これらがどう変容してきたのか。その解を,求めてゆくと「ソーシャルメディアの役割」が見えてきそうです。

感覚的な話ばかりですみませんが、今回の女子W杯などでもあった深夜・早朝の日本の「スポーツバー」での盛り上がりは、近いようで遠いかも。メディア側の意図しない無邪気な自作自演的な臭いがしないでもありません。


■2011年7月29日 15:26(氏家)
前川さん
最後を、前川さんの文でまとめると美しいと思うのですが、是非、お願いします。

氏家


■2011年7月31日17:33(前川)
前川です。

「あやプロ会」をフォローしたメールの議論が行きついたキーワード(僕にとっては)、1.物語、2祝祭空間、3.日常、でした。

1.「物語」という言葉で何を思い浮かべるのかは、その人の経験と感性で随分違う、当たり前だけど。でも、人は「物語」ナシで生きていけるかと言うと、多分生きていけない。しかし、「物語」は身の丈を超えるものだ。だから、政治とは人々に「物語」を与えることだった。いま、政治とは別に「物語」が語られる可能性があるか、というのが多分21世紀(前半の?…と刻むところがせこいか)の私たちのテーマかもしれない。

2.人々は「祝祭空間」、つまりハレの場を待ち望む。ローマ皇帝の仕事は民衆にパンとサーカスを与えることだったというが、「物語」と同様「祭り」も政治だったし、それは宗教性と不可分だったはずだ。資本主義は祭りを投資の場、ビジネスの場として(例えば、近代オリンピック?)仕立て直したが、それも人々の祝祭待望があってのことだろう。たが、政治は常に祭りを奪還したがっている。ポピュリズムが立ち現れる。そのとき、マスの、あるいはソーシャルの情報空間はどのようにそれに関わるのだろう。そして、「戦争と広告」で切りとられた広告マンの美意識は、どういう選択をするのだろうか?

3.その対極としての「日常」と考えることもできるが、それよりも<3.11.>というまさに日常ならざる状況をどのように生きるか、直接の被災者でない私たちも、そのこと抜きには<今>を考えられない。そして、間違いなく日常への回帰は進行する。日常への回帰から遠い人を風化させない方法はあるのだろうか。マスもソーシャルも<日常-非日常>の緊張関係から逃れられない。そこに、ドキュメンタリー=記録することの意味があるはずだ。

というようなことを、皆さんのメールを通して読み直しながら思いました。
「あやブロ」で、そして「あやプロ会」のリアルな会話として、語ることは沢山ありますね。これからも宜しくお願い致します。

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以上、あやとらー同士のメールのやりとりでした。内輪話まで含めて削らずに載せてしまいました。その方が雰囲気が伝わるだろうと思いまして…。
あやとりブログ、これからももっと元気に活動していきます。


氏家夏彦




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