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「メディア総研セミナーより~この1年間に起きた様々な現象の中に、メディア変貌の兆候とその方向性を探る」①-氏家夏彦 

ここのところ、9月7日に開いたTBS社内向けセミナーの話題が続いているので、セミナーでの私のパートについても書いておこうと思う。このセミナー自体についての説明は9月9日の管理人のエントリーで説明してあるのでご参照を。

この1年に起きた現象として、
*尖閣衝突映像のネット流出
*スマートTVの登場
*ジャスミン革命
*ウィキリークス
*東日本大震災・原発報道とソーシャルメディア
この5つをピックアップした。

まずは【尖閣衝突映像のネット流出】だ。
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流出までの経緯の中では、中国側の強硬な姿勢に対し菅内閣がずるずると腰砕けになった印象を受ける事が、映像のネット流出の根底にあるだろう。流出させた海上保安官は「CNN東京支局に郵送したが放送されなかったのでYoutubeに投稿した」と供述していたそうだ。保安官はCNNにメモリーカードを送った際、内容データの説明を記していなかったようで、CNNでは得体の知れないものを開くのはウィルス感染の危険という事で廃棄したと聞いている。
この時、もし自分が受け取ったらどうしただろう?というのはテレビに関わる者なら誰もが考えただろうが、ポイントはそこではなく、なぜ日本のテレビ局に持ち込まなかったのか?だ。調査報道に関してはテレビ各局の報道は力を入れていたし、視聴者にも認識されていると思っていた。それなのになぜ、テレビに持ち込まれなかったのかは大きな問題だ。
その原因を考えると「テレビへの不信感」と決めつけられがちだが、私はちょっと違うと思う。むしろ視聴者が感じているテレビとの距離感なのではないか。元々テレビというメディアは情報は一方通行で、情報の受け手は千万人単位ということから、発信元と視聴者の間に距離があるのは当然だ。しかしこの「距離感」というのはメディアとしての仕組み上の距離ではなく、視聴者・ユーザー側からみた心理的な「遠さ」の事である。この距離感が広がってしまった背景には何があるかというと、ソーシャルメディアの存在があるのだと考える。これについてはこの後、徐々に触れるし、最後のセッションでの大きなテーマとなっている。
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次は【スマートTVの登場】
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昨年10月にアメリカのソニーが世界で初めてGoogleTVを採用したネットに繋がるテレビとディスクプレイヤーを発売した。しかしアメリカ3大ネットワークが番組の配信を拒否するなど順調とは言えない滑り出しだったが、1月のCESではスマートTV関連の展示が最も注目を集め、将来の可能性の高さを感じさせた。
スマートTVでは、例えば地上波放送を見ている時、ネット動画を見ようと思うと、まるでチャンネルを切り替えるのと同じような簡単な操作で、Youtubeやニコニコ動画を見る事が出来る。こうなると、我々地上波放送は、多数ある動画サイトの一つと同じ扱いになってしまう。「いやいや、今でも地上波放送はBSやCSなどの多チャンネルと並んでいるから状況は変わらない」、と考える人もいるだろう。しかし、ネット動画サイトでは、一つの動画の再生が終わると、すぐに「次はこんな動画はどうですか!」と薦めてくる。こうしたインタラクティブ機能はテレビにはない。地上波放送は時間軸に縛られており次のプログラムは決まっているので、個別の視聴者のニーズに合わせる事ができない。さらに例えばニコニコ動画では「演奏してみた」や「踊ってみた」等のジャンルや「才能の無駄遣い」(これは一銭にもならないのにこんなに凄い動画を作るなんて凄い!というほめ言葉)等のタグで、ユーザー側から検索していく楽しみもあるが、テレビでは「どのチャンネルにするか」「録画するか」と「見るか見ないか」の選択肢しかない。Youtubeなどはブログやフェイスブックと連動し、自分の記事やコメントの中で紹介でき、わざわざサイトに飛ばなくてもその場で再生できる。ネット動画はいったん入り込むとついつい時間が経ってしまうし、様々な誘導が様々なところに仕込まれている。これはテレビにとって悪夢である「時間を奪われてしまう」ことと直結する。時間は視聴率と同じなので、飯のタネである視聴率が奪われる。しかしスマートTVはいずれ日本でも販売されるだろう。
さぁどうする?
しかし悪い事ばかりではない。ソーシャルメディアと結び付いた新しい視聴形態や市場が誕生する。新しい視聴形態は昨年のサッカー・ワールドカップで普及した「テレビを見ながらソーシャルメディア!」というもの。ツイッターで感想などを呟きながらサッカーの試合をテレビで見る。一人で見ていても、みんなで一緒に見ているような盛り上がりを楽しめる、いわばバーチャル・パブリックビューイングであり、定着もしている。新しい市場はそれこそ広大なものがうまれる。なにしろスマートTV、スマートフォン、タブレット端末など、ネットに繋がり動画を楽しめるデバイスは今後急拡大するのだから。地上波もBSもCSも有限だがネットは無限。動画=番組コンテンツへの需要は必ず高まる。しかし、価格は破壊的に安くなってしまう。まだ見えないビジネスモデルをどうやって探すのか?少なくとも制作能力から言えば、最も可能性があるのは制作力だけでなく膨大なアーカイブを持つテレビ局のはずだが。
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次は、【ウィキリークス】
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現象としては昨年いろいろあったが、気になるのはウィキリークスとは何だ?という疑問だ。ウィキリークスとは、単なる暴露サイトなのか?それとも画期的なジャーナリズムなのか?公表する情報の真偽はちゃんと確認しているのか?公表する情報は公益を損なわないのか?公表によって権力者ではない弱者に被害者は出ないのか?そうした情報解析や緻密な調整作業をウィキリークスはちゃんとできるのか?などなど。
今月2日、ウィキリークスはアメリカの外交機密文書25万点を編集なしで公開してしまった。情報提供者の名前が実名でさらされているそうで、生命に危険が及ぶと危惧されている。ウィキリークスには大きな問題があると思わざるをえない…という疑問がある一方で、ユーザー側からするとこの問い自体が無意味なのだ。ネットでは便利だから使われ、使われるから情報と人が集まり、ユーザーが増えるから存在価値が生まれる。ウィキリークスは問題がある。しかしユーザー数が膨大であれば、存在価値は消えない。つまり今の時代は、従来のメディア論やジャーナリズム論では通用しない。
なぜそうなったのだろうか。インターネットによって人々は様々なルートで、しかもコストはゼロで情報を入手できるようになった。インターネットが登場する前までは、ニュースはマスメディアによってのみ伝えられた。それが今では様々なレベル、視点、考え方の情報をタダで容易に手に入れられる。それを妨げる事はできない。
既存のマスメディアに対する距離感も重要な要素だ。テレビや新聞より問題があってもウィキリークスの方が身近に感じられてしまう。だからこそ、問題があっても支持される。時代は変わってしまった。しかも元に戻る事はできない。
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文字数制限を超えてしまったので、次に続きます。



氏家夏彦プロフィール
1979年TBS入社。報道・バラエティ・情報・管理部門を経て、放送外事業(インターネット・モバイル、VOD、CS放送、国内・海外コンテンツ販売、商品化・通販、DVD制作販売、アニメ制作、映画製作)を担当した後、2010年TBSメディア総合研究所社長。月に200km走るのが目標です。週末は海に出てます。はっきり言ってゲーム・アニメは大好きです。ツイッターとフェイスブックはかなりやってます。



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