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「魔法少女まどか☆マギカ」の3段構造 - 志村一隆

2つの世界を行き来する3つの人たち

「魔法少女まどか☆マギカ」のアニメ的日常と切絵的画風の魔女の結界。作品では魔女が結界の向こう側の世界だけれど、スクリーンのこちら側にいる我々にとっては、切絵のほうが現実に近く感じる。
そして、この2つの世界を行き来するのに、作中には「少女」「魔法少女」「魔女」という3つのレイヤーが用意されている。
魔法少女はもう人間ではないのだが、魔女でもない。人間ではないのに生死を論じるのも変だが、その中間的な存在は、死なのか生なのか。どっちに近いのだろう。
魔法少女になるときに、1つだけなんでも望みを叶えてくれる。自分なら「なんで命と交換なの?」と思いそうだ。もっと廉価な「お試し版はないの?」と交渉するだろう。
「命と交換に望みを叶える」究極の2択を問い、結界と現実の2つの舞台を行き来する登場人物には3つのレイヤーという設定。それがこの作品のミソだ。
須田さんの「お約束ごとを守りながら疑問を呈する」ために、その手法が複雑に入り組んでいる。

希望と絶望、どっちでもない

この作品の脚本を書いた虚淵玄氏は、「希望を追いかけても、絶望は必ずついてくる」と述べている。(朝日新聞 2011年8月30日)
当初作品を見ながら、希望と絶望、生産と消費など、コインの裏表的な考え方を提示したかったのか?と思っていた。しかし、見終わって色々考えると、そうではなくて、「希望と絶望、どっちでもない」という3階層で成立する現実社会を描きたかったのではないかと思い当たった。
世の中は、割り切れるものではない。もし、「割り切れる」と仮定してしまったら、割り切れなかった残りは「矛盾」としてネガティブに処理するしかない。割り切れない部分を矛盾と捉えるのか、それとも「+α」とプラスに見るか。作品に結論はない。きっと、違う視点から見えてくる世の中があることを問いかけているのだろう。

希望はあるが、欲がない

世の中を2者択一で割っていき、割り切れなかったあまりをプラスとして考えるなら、それは自然と共生し、天気が1日の予定を決める晴耕雨読な生活になるのだろうか。
そんな気ままな人生送りたいけど、東京に居る限りそれは無理だ。少しでもビジネス社会に身を置くなら、その日常は常に選択を迫られ、ゴールを設定、課題を解決することを強要される。
なんで、そんな生活をするのか。金銭なのか、自由なのか。
「欲が資本主義を発達させる」と言った人がいる。「欲こそがイノベーションの源なんだ」という。
「魔法少女まどか☆マギカ」には、「希望」はあるが「我欲」が語られない。少女が魔法少女になるのは、他人の願望を叶えるためだ。のび太がドラえもんに無茶な願いを叶えてもらうのと違う。
なぜ少女が、我欲のために魔法少女にならなかったのか。もし、作者が、成長、拡大が発展、発達と呼べるのかといった問題提起や、幸せとはなに?的な議論を組み込もうとして、わざと少女から我欲を捨て去らしているとしたら、とても意欲的な作品だと思う。


志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka



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