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Eight Months After – そうだ、東北、行こう ― 志村一隆

700キロの旅でも津波の被害は全てを見られない

前川センパイのポストにもあったように、東日本大震災の被災地を訪れた。名取から田老まで直線距離で200キロ、仙台で借りたレンタカーの走行距離は700キロ。東京から700 キロ西に進むと広島の手前まで行ける。
三陸地方は、海に突き出した山と山の間の小さな平野部に街が点在している。その街を貫く国道45号線を北上すると、山を超え街に入るたびに、無人の荒野が視野に広がる。名取市閖上地区を訪れたあと、陸前高田、大船渡、釜石、大槌、田老までを見た。これらの地区で倒壊した家屋は19,000件。それだけの家が無くなった跡地を見たのだ。

津波後、すぐに何も無くなったわけではない

旅の最終地点、田老(岩手県宮古市)には巨大な防潮堤が残されていた。空から見るとX字に作られた高さ4.5メートルの防潮堤は、半分が津波で破壊され、V字になってしまった。Vの根元の部分に立つと、500メートル先の「たろう観光ホテル」まで、視界を遮るものが何も無い。
yrksuwVyu0.jpg                   「破壊された田老防潮堤」

8ヶ月前、そこには1,600世帯、4,400人が生活していたはずだ。そして、津波後そこには、山と積まれたガレキが見られた。YouTubeには、海上保安庁が公開した田老を津波が襲う様子や、地震から1ヶ月後、防潮堤から見渡した光景が残されている。
そうした記録を見て、防潮堤の上で言葉を失った自分の甘さを恥じた。我々が見た何も無さは、8ヶ月間のヒトとモノの往来が積み重なった結果だ。田老より40キロ南、田老と同じく今では何も残っていない大槌町で、地震直後から4ヶ月間自衛隊が処理したガレキは、21万平方メートル、東京ドームの約2杯分だ。
巨大な防潮堤は破壊されたそのままの姿だが、時間は止まらないし、人の動きも止まらない。宮古市は10月に復興計画を出した。そこには生活インフラの基盤整備だけでなくソフト面の施策も盛り込まれている。2012年4-6月には、JRの観光キャンペーンも決まっている。

平坦な土地に、黄色い花が咲き、仏具屋が開店していた

大槌町だったか、仏具屋、コインランドリ、散髪屋がプレハブで開業し、テントの食堂が商売を始めていた。黒い津波が堤防を超えた宮古の中心街では、マラソン大会が開催されていた。
仙台の夜は、活気があった。今回仙台で会った大学の先輩は、「物見遊山でもいい。お金を落としてくれるだけありがたいよ」と言っていた。「仙台はお金もあるのでガレキ処理も進むけど、父親が住んでいた気仙沼のようなお金の無い街はそのまま取り残される」とも言う。
j6iDMZ1O4a.jpg            「ガレキ処理が進まない場所もある。気仙沼市街」

それでも、訪れた日にオープンした「復興屋台村 気仙沼横丁」には、ホルモン屋、海鮮丼、お好み焼屋、SHOT BARが集まり、小学生の女の子がAKB48的なパフォーマンスを見せていた。
5bmuCKytL6.jpg      「復興屋台村 気仙沼横丁」で少女たちがパフォーマンスをしていた


人が集まれば、自ずと復興は早まる。東北新幹線は行きも帰りも超満員だった。道路も復旧している。
あやぶろの読者だったら、理由なんか要らない、とにかく北へ急げ。被災地をいたわるなんていう上から目線も捨て、東北を体験すべきだ。
「そうだ、東北、行こう」


志村一隆(シムラカズタカ)プロフィール
1991年早稲田大学卒業、第1期生としてWOWOWに入社。2001年モバイルコミュニティを広告ビジネスで運営するケータイWOWOWを設立、代表取締役就任、業界の先駆けとなる。2007年より情報通信総合研究所で、メディア、インターネットの海外動向の研究に従事。2000年エモリー大学で MBA、2005年高知工科大学で博士号
『明日のテレビ-チャンネルが消える日-(朝日新書)』、『ネットテレビの衝撃(東洋経済新報社)』が絶賛発売中。ツイッターは zutaka



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