「地域図のススメ」 ― 木原 毅

シンガポール。この国の最新情報に関しての志村さんの指摘は、「日本はアジアか」という、ひょっとすれば「日本テクノロジーガラパゴス説」につながるかもしれない、古くてなお現実的な命題を喚起しれくれた。
ソフトバンクのCMのせいもあって、いま旅行誌や女性誌でもっとも泊まりたいホテルのひとつがシンガポールのマリナ・ベイ・サンズだそう。あのCMを見て、屋上のプールはどんな仕掛けになっているのか、どんなところに建っているのか僕も興味津々になった。志村さんの指摘するとおり、ほんとに毎月、毎月変化しているらしい。
いまや上げ潮、絶好調のシンガポールだが、日本がバブルにさしかかる1980年後半まではこの国も「近隣国」との関係や国家の立ち位置で相当悩んでいたことを思い出す。実はそのころ、僕はシンガポールにはよく立ち寄った。仕事ではなく、ダイビングをする場所への経由地としてなのだが・・・。モルディブやタイ、マレーシア沖の島々はいまでは考えられないくらい素朴でワイルドなところだったから、潜って疲れた体をシンガポールの真水のプールで塩抜きをして、うまいものを食べ帰国する、というのが旅のオプションになっていたりもした。 
またその頃(ホイチョイの映画よりも前のこと)、アジアで普通の人がダイビングをレジャーとして楽しむのは日本とシンガポールくらいだったこともあって、彼らと何回か一緒に潜り、その後で飯を食ったり、話を聞いたりするのも旅の楽しみのひとつだった。彼らの話から惹かれるところもあったので、帰国して、シンガポール関連の本や資料を読んだりした。すると見えてきたのは、当時~1980年代はアセアンのオリジン加盟国(タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピン、シンガポールの5か国)のなかでも、シンガポールはちょっと違うと思われていたフシがあるということだった。
中国系が大多数を占めるこの国は、当時の他のアセアン加盟国4か国から、ともすれば中国の別働隊、あるいは外貨を吸い上げる拠点、つまりは第2の香港のように見られていた。いまは一層強くなっているようだが、アセアン各国が、中国から感じるとるプレッシャーは相当なものがある。ましてや地元の金融を握っているのはシンガポールのみならず、他の4か国も中国系住民だけに、他民族からの偏見もかなりのものがあったし、ダイビングで知り合ったシンガポール人(ダイビングをしているのはあきらかに中国系市民だった)も、あまりよく思われていないことを自覚しているようだった。
こんな状況なかで国民と国家を上手くハンドリングしたのがリー・クワン・ユーだったのだろう。名前からも判るように中国系だったが、中国本土とは距離を置いた。象徴的な例をあげると、彼の率いるシンガポール政府が中国を承認したのは、アセアンのオリジン5か国のなかで一番最後、それもアセアン中で一番の大国だと自認しているインドネシアが中国と国交を回復するのを見届けてからのことだったと記憶している。
恐らく志村さんの指摘するように、どこかのタイミングでシンガポールは、おのれの立ち位置を世界地図ではなく、アジアの地図のなかに見つめ直したんではないだろうか。1980年代後半、日本が一人あたりのGDP世界一に迫ろうというなか、シンガポールの1人あたりGDPも1万ドルをうかがいつつあった。しかし、20年が過ぎ、アセアンのなかでの立場を確立したことが、今の日本の状況との一番の違いとなったのでは、と感じてしまった。
そういえば、東北視察の際、岩手県と四国4県の面積があまりかわらないという事実に移動しながら改めて驚いたものだが、アセアン地域での地理的トリビアをひとつ披露すると、(これはインドネシアで彼の地の人から聞かされ、帰国して地球儀で実測してみたらほぼ正しかった)インドネシアの西端から東端(スマトラ島からイリアン・ジャヤまで)までの距離は東京・ジャカルタ間と変わらない。太平洋が真ん中にある平面的なメルカトル世界図ではなかなか実感できないダイナミズム。地域図のすすめは面白い。


木原毅(きはらたけし)プロフィール
1978年早稲田大学文学部卒業後TBS入社。ふりだしはテレビ営業局CM部。その後約20年ラジオのさまざまな現場生活を経て、2000年頃からインターネット・モバイルの部局へ。07年よりTBSディグネット代表取締役社長。



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