「フェア・ゲーム」が映し出す米国的ジャーナリズムとは

 2011年12月14日、米国大統領がイラク戦争にようやく終結宣言を出した。戦争が始まったのは2003年3月だから約9年ぶりのことだ。

その開戦より1年前の2002年2月、私はあの国の首都にいた。前年の9月11日に起こされた同時多発テロ以降の、暗く、陰鬱で、深刻な空気がまだ米国の街々を覆っていた。テロを起こしたアルカイダと、それをかくまうアフガニスタンのタリバン政権に対する米軍の軍事力行使は一区切りをつけ、ブッシュ政権が「イラクに次の狙いを定めている」と憶測が出始めていた時期だった。

ワシントン支局で取材を続けていた私は、春先に東京本社へ戻るよう内示をうけて帰国準備にとりかかろうとしていた。まさにこの時、ラングレーのCIA本部がホワイトハウスとの間でイラク開戦をめぐる抜き差しならぬ緊張関係に陥っていたとは、この秋に日本で公開された映画の「フェア・ゲーム」を観るまで知らなかった。
HuNLOIh0l_.jpg           映画FAIR GAME ~ (C) 2010 Summit Entertainment, LLC. All Rights Reserved.

フェア・ゲームとは英語で「かっこうの的」「カモ」という意味だ。カモにされたのはCIAの大量破壊兵器拡散防止部門で働いていたブロンド美女の秘密工作員「ヴァレリー・プレイム・ウィルソン」とその夫。カモに仕立てたのはブッシュ政権高官(注1)と追随した米国のマスコミである。そしてこの事件は「プレイム事件」として日本でも知られている。

「プレイム事件」は簡単に言えば、CIA秘密諜報員だったプレイムの正体を、こともあろうに雇い主の米国政府がマスコミに暴露したというもの。リークの目的は、プレイムの夫であるジョゼフがブッシュ政権のイラク戦争遂行に批判的な言動をとっていたため、その報復および戦争批判をつぶすための世論誘導だった。

元外交官でNSC(国家安全保障会議)メンバーにも就任したことがあるジョゼフ・ウィルソンは2002年2月にCIAから依頼を受けて、イランが核兵器の材料となるウランをアフリカの「二ジェール」という国から密輸したという英国から寄せられたインテリジェンス情報の真偽をさぐるため現地調査にあたった。
ジョゼフはかってアフリカで大使を務めたことがあり、ニジェールの政権幹部にも人脈があったためCIAから選ばれたものだが、現地調査した結果、ジョゼフは英国の情報がガセであり根拠はないとCIAに報告した。

CIAもそれを受け容れ「フセイン政権は危険な存在だが、イラクに大量破壊兵器を開発する技術もカネもない」と推測した。しかしこれを承服できなかった人々がいた。ホワイトハウス高官のうちチェイニー副大統領など、中東地域の安定にとってイラクが特別に危険な存在と敵視する「ネオコン」と呼ばれる保守派だ。

イラクが開発した大量破壊兵器が国際テロ組織に渡れば再び大規模なテロ攻撃を受ける、という恐怖や強迫観念もあったのだろう。彼らはCIAの推測は甘いと圧力をかけ、ジョゼフ報告も握りつぶした。やがてブッシュ大統領はウラン密輸疑惑を理由のひとつに掲げて開戦に踏み切った。

怒ったのはジョゼフである。自信をもっていた報告が完璧に無視され戦争がはじまったことから2003年7月、ニューヨークタイムズへの寄稿で「私がアフリカで見つけなかったもの」と題してブッシュ政権が国民を欺いていると訴えた。
この内部告発が世論に影響を与えかねないことを危惧したホワイトハウスはジョゼフ発言を葬り去るため、狡猾にも彼の社会的信用を奪う。
すなわち、ジョゼフの妻がCIAの現役スパイであることをマスコミにリークして、彼は妻から調査業務を斡旋してもらった(のちに事実ではないことが判明)ので信頼性に欠けると印象づけようしたのだ。

このリークはワシントンポストのコラム記事となり、仕えてきた国家に裏切られた形のウィルソン夫妻は多くのマスコミにとっても「カモ」となった。(注2)
事件はその後、国益を損なうリークは重罪と主張するウィルソン氏側の反撃で検察が動き出し裁判に持ち込まれたが、どちらが正しいかは、ここの論点ではない。
3j3otrYYNg.jpg                  プレイムが反論のため出版した回顧録(写真は本人)

「フェア・ゲーム」が映し出したのは米国的なるジャーナリズムの危うさだ。赴任中にも感じたことがあるのだが、米国の著名ジャーナリストは、政府の機密情報を特ダネのストーリーに仕立てることに何と熱心であることか。

それは民主主義と報道の自由を守るという高い職業意識から発しているのだろうが、たとえば「ウォーターゲート事件」においてワシントンポストのボブ・ウッドワード記者は、政府内部の情報源「ディープスロート」から得た情報で特ダネを連発してニクソン大統領のスキャンダルを暴いた。ボブはその後も重要機密に属するノンフィクションをモノにしてベストセラーを連発、ついには全米一の高給取り記者になったといわれている。

つまり米国では機密情報を探り当てることが極めて高い商品価値をもち、結果的に出版やテレビの世界でカネになる「ビジネスモデル」となっているのである。
だからこそウィキリークスは米国マスコミ界において否定的に受け取られている。マスコミビジネスには邪魔な存在なのだろう。

 そして、ここが肝要なのだが、機密のリークを受ける側が特定の政治的主義主張を実現するため暴露しているとしたら、問題はジャーナリズムの是非にとどまらず、ニュースに巧みに埋め込まれた政治的意図に人々が操られることを意味する。

 米国は、目の前の弱者に手を差し伸べる善意が根づく社会であるが、山脇ポストにあったように政敵など相容れない勢力に致命傷を与えるために隠し撮りが行われ、機密情報が暴露される社会でもある。
暴露された機密は、「ペンタゴン・ペーパーズ」やウォーターゲート事件のように国民の知る権利に寄与する面もあるが、逆になにか大事なものを潰すこともある。だからこそ私たちはメディア・リテラシー、情報の真偽を識別する眼力を養わなければならないと思う。

私が「イラクへの開戦は明確な理由がなく難しいだろう」などと観測記事を書いていたそのときに、ブッシュ政権とCIAの間で戦争に向けた政治的暗闘が、首都を流れるポトマック川をはさんで行われていたのだ。
 映画を観ながら、眼力の足りなかった自分の不甲斐なさに首をうな垂れた次第である。


(注1)リークした政府高官の1人は、親日派として知られるアーミテージ国務副長官(当時)であることを本人が告白しているが、実際はチェイニー副大統領やリビー補佐官など複数の高官も関与していた疑いがもたれていた。

(注2)このあたりの展開は、日本の沖縄密約をめぐる「西山事件」によく似ているが、毎日新聞の西山記者(当時)はリークを受けたわけではないので本質は異なるだろう。




稲井英一郎(いない えいいちろう)
1982年TBS入社。報道局の社会部および政治部で取材記者として様々な省庁・政党を担当、ワシントン支局赴任中に9/11に遭遇。
2003年からIR部門で国内外の株主・投資ファンド・アナリスト担当
2008年から赤坂サカスの不動産事業担当
2010年より東通に業務出向。
趣味は自転車・ギター・ヨット(1級船舶免許所有)、浮世絵など日本文化研究。
新しいメディア・コンテンツ産業のあり方模索中。



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